アニタMoorjaniのNDE
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体験の内容:

私は末期がん(ホジキンリンパ腫)で、酸素ボンベにつながれ、フルタイムの看護師に付き添われて在宅ケアを受けていました。2006年2月2日、私は目を覚ますことなく昏睡状態に陥り、夫が担当医に電話をすると、直ちに病院に運ぶようにとのことでした。経験豊かながん専門医は私を診ると、臓器機能が停止し始めていること、そして最期の時が近いことを夫に伝えました。おそらく36時間はもたないだろうという状態でした。医師は夫に、できる限りの手は尽くすが多くの臓器がもはや機能していないので、覚悟しておくようにと告げました。医師たちがこうした診断を下したのは、私の体がむくみ始めており、皮膚の病変も口を開いていたためです。混合薬剤の点滴投与が始まり、栄養や薬、酸素を入れるためのチューブやパイプが私に取り付けられました。

私はこの時、自分の周りで何が起きているのか全て把握できていたので、意識のある状態とない状態をさまよっているのだとばかり思っていました。けれど後になって、ずっと昏睡状態にあったことを家族や医師たちから知らされました。病室を出て約12メートル行った廊下で話している夫と医師たちが見え、会話も聞こえました。後にこのとき見聞きした会話が実際のものと相違がなかったことを、この事実に驚く夫と確認しています。それから私は“境界を越え”別の次元にいくと、そこでは完璧な無条件の愛に包み込まれたような感覚がありました。私はまた、なぜがんになったのか、なぜそもそもこの世に生まれて来たのか、物事の壮大なる計画の中で家族一人一人が私の人生でどんな役割を果たしてきたのか、そして人生がどのように動いているのかということを究極の鮮明さで理解するという経験もしました。この時の鮮明さと理解したことを言葉で表現するのは、ほとんど不可能です。この3次元の世界にいる私たちには想像もつかないことが一体どれだけあるかということを理解できる場所にいたのですから、その経験を言葉で表すには限界があるように思います。私は人生がどんなに素晴らしい贈り物であるかを悟り、そして愛にあふれた霊的存在に囲まれていたこと、その存在たちはたとえ私が気づいていなくても、いつもそばにいてくれたことを知ったのです。

私が感じた愛の大きさは圧倒的なもので、この点から自分がどれほどパワフルな存在であるかを知り、また人間として私たちが生きている間にどれだけのことを達成できるかという驚くべき可能性も見ることができました。この新たな理解のもと"地上の天国"を生きること、また人々にこの知識をシェアしていくことが今から私の目的になるということも分かりました。それでも私には生きるか、それとも死に向かって行くのかという選択肢がありました。私が死ぬ時は今ではないということを知ることになったのですが、それでも常に選択権は私にありました。もし死を選択すれば、残りの人生に用意されているたくさんの贈り物を経験することはできません。けれども最初は、この世界に戻って来たくありませんでした。ひどい病に侵されて多臓器不全の上、皮膚の病変も口を開いている自分の身体に戻りたくなかったのです。ところが、ほとんど間髪を入れない感じだったのですが、もし生きることを選択したら、私の身体はすぐによくなるということに気付きました。しかも数ヶ月、数週間でなく、数日中に違いが分かるほど!

それから私は、病気は肉体に現れる前にエネルギーのレベルで始まること、それがどのように始まるのかを理解し始めました。もし私が生きることを選択すれば、がんは私のエネルギーレベルから消え、肉体もすぐその後に続くのです。医療は病気をエネルギーレベルでは解消せず、身体だけを治療するために病気が復活してしまうということを理解しました。私がこの世に戻る時は、非常に健康なエネルギーを持って戻るということ、そして私の身体はすぐにそのエネルギーの状態に追いつき、いつまでも健康でいられるだろうということも分かりました。これは病気に限らず、物理的状況や心理的状態などあらゆることに当てはまるということに気付き、人生の中で起こっているすべてのことは、自分の周りにあるエネルギーに左右されており、そしてそのエネルギーは自分が創り出しているということが分かったのです。 実在するものは何もなかった―――この“エネルギー”がどういう状態にあるかによって、自分で自分の環境や状況などを創り出していたのです。自分のすることがどのように現実世界に反映されるかということに関する気付きの鮮明さは驚異的でした!私たちがエネルギー的にどういう状態にあるかということがすべてなのです。そしてどういうわけか私は、身体に戻れば自分で直接これを“証明”することになるということを知っていました。

私は物理的なこの世界とあの世の二つの世界を行ったり来たりさまよっているように感じていました。そして“あちら側”に行くたびに深く入り込んでいき、さらに多くの“場面”を体験したように思います。ある場面では、私の人生がどのようにその中に登場する全ての人に関わっていたかを見ることができました―――それはまるでタペストリーを見るように、自分の周りにいる人たちの人生に私がどのような影響を与えていたのかが見て取れたのです。私が危篤だと聞いた兄が、飛行機に乗って私に会いに来ようとしている場面もありました(私が意識を回復した時に飛行機で到着したばかりの兄がいたことから、これが事実だったことが証明されました)。それからまた兄と私の姿を垣間見たのですが、どうやらそれは過去世での姿だということが分かりました。私は兄よりもずっと年上の母のような存在で、彼を守る意識が非常に高かったのが見て取れました。すると突然、私のところに駆けつけるべく飛行機に乗っている兄に意識が向き、「着いたら私はもう死んでいたなんて目に兄を遭わせるわけにはいかない。そんなことはできない。」と感じたのです。それから、夫と私の目的がどんな風につながっていて、この世に生まれて人生を一緒に歩むことを二人がどのように決めたのかも見ることができました。私がこの世を去ったら、おそらく彼もすぐにこの世を離れるだろうということも分かりました。

さらに私は、自分の臓器機能の検査が行われこと(結果はまだ出ていなかった)、そしてもし私が生きることを選択したら臓器は機能しているという検査結果になり、死を選択したら、がんによる多臓器不全という結果が出て、それが死因となることを理解していました。私の選択によって検査結果を変えることが可能だったのです!

私は生きることを選び、目を覚まし始めた時(境界のどちら側にいるのかまだわからず、非常に混乱した状態でした)、満面の笑顔を浮かべた医師たちが病室に駆け込んできて私の家族にこう言いました、「喜んでください、臓器は機能しているという検査結果が出ました。信じられない!! 彼女の身体は機能を停止したようにしか見えなかったのに!」

その後私は急速に回復し始めました。医師たちは癌細胞の種類を突き止めるため、リンパ節の生体組織検査を行おうと私の状態が安定するのを待っていたのですが、がんの存在を示唆するような大きなリンパ節すら見つかりませんでした(病院に運び込まれた時は、頭の付け根から下腹部にかけて腫れたリンパ節とレモン大の腫瘍だらけでした)。骨髄の生体組織検査もしました。医師たちは、適切な化学療法を行うためにがんの状態を調べようとしたのですが、骨髄の中にもがんは見つかりませんでした。これらの検査結果に医師たちは非常に混乱していましたが、化学療法への突然の反応が原因とみなしました。彼ら自身、一体何が起こっているのか理解できず検査につぐ検査を行ったのですが、私は全ての検査を見事にクリアし、そしてその事実は私をさらに力づけてくれました!全身をスキャンしたときなどは、何も見つからなかったので放射線技師にやり直させたほどです!!!!

今回の体験から、今私は奇跡とは日常の生活の中で起こり得るものなのだということを、私の知り合い全員に伝えています。この体験の後、どんなことも絶対に可能であること、私たちは苦しむために生まれて来たのではないということを悟りました。人生は本来素晴らしいもので、私たちはとても、とても愛されているのです。私の人生の見方は劇的に変わり、“地上の天国”を生きる二度目のチャンスを与えられたことが嬉しくてなりません。

この体験を言葉で表現するのは難しいですか? はい。言葉の表現をはるかに超えた体験でした。言葉にするとその経験が実際よりも小さくて狭いものになってしまいます。私が見たもの、気付いたこと、感じたこと、そして人生についての鮮明な理解は、人間の想像をはるかに超えており、言葉はそうしたことを表現するようにはできていません。

この体験をした時、それに関連した生命を脅かすような出来事はありましたか? 私はがんで死にかけていて、医師たちは36時間もたないだろうと言っていました。 あの世とこの世の間をさまよい始めたのはこの時点からです。

この体験をしている間、意識と覚醒のレベルが最高だったのはいつですか? たぶん、この世に戻るかどうかの選択肢を与えられた時です。

臨死体験中に感じた最高レベルの意識と覚醒は、通常のものと比べてどうでしたか? 通常よりももっとはっきりしていました。 臨死体験中に感じた最高レベルの意識と覚醒が通常のものとは異なっていた場合、どのように異なっていたか説明してください。 昏睡状態にあったにもかかわらず、意識のある状態とない状態を行ったり来たりしていたようで、“あちら側とこちら側”の両方に気付いていました。耳に届く距離を超えた病室の外で起こっている会話も分かっていました。

その時の視覚は、通常のものと比べて(たとえば鮮明さ、視野、色、明るさ、奥行きの知覚、物体の堅さや透明度の度合いなど)異なっていましたか? はい。他の人から見れば私の目は閉じ、眠っている状態でしたが、私自身はまだ病室にいるという認識でした。というのも、病室にいる全ての人を“見る”ことができたからです。それと同時に、まるで二つの世界が同時に存在しているかのように別の次元を体験していました。

聴覚は、通常のものと比べて(たとえば鮮明さ、音源の認識力、音の高さ、大きさなど)異なっていましたか? はい。医師たちと私の家族が耳に届く距離をはるかに超えた病室の外で話している内容か聞こえました。

あなたの意識が身体から離れるのを体験しましたか?  よくわかりません。

この体験をしている間、どんな感情を感じましたか? この地球上で経験したことのない、とてつもなく大きな愛です。たとえ何をしようと私は愛されているという風に、とても愛されているのを感じました。その愛にふさわしくなるために何かをする必要も、その愛に自分が値することを証明する必要もありませんでした。

他の存在に会ったり見たりしましたか? はい。既に亡くなっていた父や親友をはじめ、たくさんの存在に囲まれていました。他の存在が誰かは分かりませんでしたが、私をとても愛してくれていて、そして守ってくれているのが分かり、たとえ私が気づいていなくても、いつもそばにいてくれたことを知りました。

臨死体験中に人や出来事について見たり聞いたりしたことで、後で実証することができたことは何かありましたか? はい。先生と夫が病室を出て廊下を進んだ所で話しているのが見え、会話も聞こえました。また私に会いに来るために飛行機に乗っている兄も見ました。 いずれも実証され、先生と夫の会話に関しては一言ずつ繰り返して確認しました。

空間や時間が変化したという感覚がありましたか? はい。実際よりももっと長い間あちらの世界にいたように感じました。私があちら側で見たり学んだりした量は、こちらの世界だったらもっと多くの時間を要したはずです。それから検査結果についてですが、検査は既に行われていたにも関わらず、どういう結果が出るかはこの世に戻ってくるかどうかという私の選択次第でした。これによって私の時間に対する概念は根本的に変わってしまいました!!

特別な知識、宇宙の仕組みや目的を知っているという感覚がありましたか? はい。驚くほどの鮮明さで理解していました!なぜ自分ががんになったのか、自分のすることがどのように現実世界に反映されるのか、人生は贈り物であることに私たちが気付いていないことなどを理解しました。それから、何があっても私たちはとても深く愛されているということも分かりました。神様に自分自身を証明するために何かする必要はないですし、"天国"や"地獄"もありません。私たち自身がこの地球上に自分たちの天国、あるいは地獄を創っているのだということが分かり、この地球上に自分の天国を創るための重要な要素を学びました! はい。生きるか死ぬかを選択しなければならないと感じた地点に到達しました。そこには親友(2年前にがんで他界)がいて、そこは私が行けるぎりぎりの地点でそれ以上行くと戻れなくなると教えてくれました。「ここが境界よ。ここがあなたの来られる限界なの。さあ戻って、あなたの人生を恐れることなくフルに生きて。」と彼女は言ってくれました。

未来のことが分かりましたか? はい。自分の身体が急速に治るということが分かっていました。そして実際にそうなりました。全ての検査結果は信じられないものになるだろうということも分かっており、これもそうなりました。スキャンや生体組織検査などの検査で、病気の痕跡が見つからなかったのです。臓器は正常に機能し、食欲も戻っています。そしてこうしたこと全てが起こることが分かっていました。臨死体験からまだ6ヶ月しか経っていませんし、私が見た他の贈り物がやってくるのはこれからですが、それら全てを受け取れる方向に私の人生が動き始めているのが分かります。私が見たものの一つは、私の目の前には長い人生があるということです!

臨死体験をする前にはなかった霊能力や、超能力、その他の特別な能力が体験後に備わりましたか? はい。体験後、直観力が高まりました。一人でいる時によく、あちら側に行った時に感じたのと同じ存在たちに囲まれているのを感じたり、臨死体験中と同じようにとても深く愛されているのを感じたりします。

他の人にこの体験を話しましたか? はい。この体験をした数日後、話ができるまでに回復してからすぐに夫、兄(体験中、飛行機に乗っているのが見えた)、母に話したのですが、その時は感無量となり全員で泣きました。そして、異常なしの検査結果が出ることを知っていたこと、それは私が生きることを選択したためにそうなったこと、私が聞いていた“会話”のことなどを話すと、家族は皆一様に驚いていました。その後、私の回復のスピードや、がんの痕跡が見られないことに衝撃を受ける医師たちを見て、家族全員変わってしまいました。臨死体験中ずっとそばにいてくれた親友にも話し、それを聞いた彼女の人生も変わってしまいました。退院後に外で人に会うようになってからは、たくさんの人に影響を与えてきました。なにしろ、彼らが最後に私のことを見たり聞いたりした時、私は死の床に着いていたのですから!その頃は歩くことも、そしてまともに呼吸もできないほど状態は悪かったのですが、今はまったく健康でいたって普通に見えます。退院してから初めてあるグループの集まりに行った時は、全員開いた口がふさがらないほど驚いて、入ってきた私をまるで幽霊でも出たかのように見ていました。誰もが私は死んでしまうと思っていたので、これほど早い私の回復ぶりが信じられなかったのです!それから部屋にいた全員に私の体験を話したところ、皆”ビフォー・アンド・アフター”を見ているので私が話したことを信じてくれましたし、そのうちの何人かは私の話を聞いて人生が変わったと言ってくれました。

この体験をする前から臨死体験について何か知っていましたか? はい。臨死体験について読んだことはありました。けれど自分が経験するとは思ってもいませんでした。私が経験した臨死体験は、これまでに読んだことのある臨死体験とは全く違っており、光やトンネル、宗教上の人物も見ませんでしたし、自分のこれまでの人生が目の前にパッと映し出されるようなこともありませんでした。臨死体験をしている間、自分では臨死体験をしているのか、幽体離脱をしているのか全く見当がつきませんでしたが、いたって普通に感じられました。別の次元に行っていたと気付いたのは、後になってからです。

臨死体験の直後(数日から数週間)、その体験の現実性をどのようにとらえていましたか? その経験は間違いなく現実のものだったと確信していました。私の身体からがんが消えてしまうという奇跡を説明できるものはそれ以外になかったのですから!!!(奇跡を証明するスキャンや検査の結果があります!)そして体験中に得た力と理解から感じたパワー以外に、私の考え方をこんな風に変えることができるものは他にありません!

臨死体験中の経験の中で、あなたにとって特に意味のあるもの、または重要なものはありましたか? これ以上の力を与えてくれる出来事は想像すらできないほど、とにかく全てがパワフルでした。その中でも特に私に影響を与えたことが二つあります。一つは検査結果を変えることができたということ。これは、確かな(または実在する)ものなど何もないということを私に気付かせてくれました。私たちは何でも変えることができるのです。さらに大きな影響があったのが二つ目で、がんで死にかけていた身体からどのようにがんが跡形もなく消え、完全な健康体になったかということです。しかもこんな短時間で!この経験で、がんを含む全てのものは実在しない(意識の変換ががんを消してしまいました!)ということを感じただけでなく、自分が非常にパワフルであることも感じ、人生観がすっかり変わってしまいました。

現在は臨死体験の現実性をどのようにとらえていますか? あの体験は間違いなく現実のものでした。まず、現在私は健康な身体の素晴らしさを楽しんでいます。こんな風に感じるのはしばらくぶりです!それから、これまでに感じたことがなかったような強い“つながり”を感じています。“導かれている”ような感覚です。何に対しても、もう恐れを感じることがありません。この世でやること全てを終わらせるまで自分は死なないということが私には分かっています。そしてたとえその時が来ても、私には死の恐怖がありません。臨死体験以来、非常に多くの"偶然の一致"が起こっています(“導かれている”感覚はこうしたことによるもの)。たとえば、欲しいと思った時にそれが手に入ったり、自分に必要な人たちから電話があったり、そうした人たちに偶然出会ったり、自分が抱えている疑問に答えてくれるメールが届いたり、などです。人生が以前よりずっと楽になり始めたところですが、それでも元気になってからまだたった数か月です。気分はまだだいぶ高揚しており、今現在も起きたこと全てに現実味を感じています。

この体験はあなたの人間関係を具体的に変えましたか?  はい。家族との絆はより深まりましたが、付き合う仲間は変わりました。昔からの友人の多くが以前とは別人のようになった私から離れて行った一方で、この体験後に知り合い、今の私を受け入れてくれる友人が何人かできました。

この体験はあなたの信仰や宗教上の慣習を具体的に変えましたか? よくわかりません。もともとあまり信心深くありませんでしたし、今も特定の宗教は信じていません。ただ、この経験によって死後の世界を“信じる”から、それが事実であると“知っている”に変わりました(霊的真実の直観的認識)。

この体験の後、薬やその他のもので体験したことの一部が再現されるようなことはありましたか? はい。静かな場所に心静かに一人で座っている時、愛されているという“つながった”感覚の中に戻り、他の存在がそばにいるのを感じることができます。

これらの質問とこれまでにあなたが記した内容は、あなたの体験を正確に、また包括的に説明していますか? はい。

補足コメント:

この報告があまりにも特異であったことを考慮し、追加の質問をアニタにメールで送付。彼女の回答は質問の下。

- Dr. Jeffrey Long、NDERF(臨死体験研究財団)

追加質問:

1. 文章がとてもお上手ですね!!!どこか英語圏に住んでいらしたことがあるのですか?
2. ホジキンリンパ腫だったということですが、これは生体組織検査による診断ですか?どのように診断されたのでしょうか?
3. すべてのリンパ節が完全に姿を消したのは、化学療法を始めてからどれくらい後ですか?
4. 既に行われていた検査結果があなたの選択次第で変わっていたであろうという事実は注目に値します。 もしあなたが地球に戻ることを選択しなかった場合、検査結果がそれに合わせて変わるのはいつだったか感覚的に分かりますか?あなたがそれを選択した後(地球時間での)でしょうか?それともあなたの選択は、採血をした時点(確か地球の時間であなたが地球に戻ることを選択する前だったと思うのですが)までさかのぼって検査に影響を与えたのでしょうか?この件に関してさらにお聞かせいただけることがありましたら幸いです。
5. 「この経験で、がんを含む全てのものは実在しない(意識の変換ががんを消してしまいました!)ということを感じただけでなく、自分がとてもパワフルであることも感じ、人生観がすっかり変わってしまいました。」とおっしゃっています。がんを扱う医師として、この件に関してあなたが感じ理解された本質をさらにお聞かせいただけたら幸いです。
6. あなたを担当された医師たちは、私と連絡をとってくださるでしょうか?あなたの診断結果や治療に関する情報を共有するには、私たちは事前にあなたの承認をいただかなければなりません。もしあなたの担当医たちがあなたの体験をまとめ、医学文献に"症例報告"として発表されるようでしたら、私にできることがあれば喜んで協力させていただこうと思います。それにより、あなたの国における臨死体験に対する意識は確実に高まるはずです。



アニタの回答:

お返事をいただき、また私の英語をお褒めいただきありがとうございます!香港は1997年までイギリスの植民地でしたので、私はずっとイギリスの私立学校に通っていました。香港にある大企業のほとんどがイギリス人によって経営されていましたので、イギリスの役人やそうそうした企業で働く親を持つ子供たちのためにブリティッシュ・スクールがあったのです。卒業後にイギリスのマンチェスターでさらに勉強を続け、それを終えると香港に戻ってきました。香港で生まれ育ったインド系で、両親の母国に真の愛着を持っていないという私と似たようなバックグラウンドを持つ夫と香港で結婚し、また働いていたのも香港です。

先に進む前に、先生からのメールを拝見して鳥肌が立ったことをお伝えしておきたいと思います。臨死体験中に自分の未来の一部が見えた時、私は人々の人生に触れ息吹を吹き込むことになっていること、そしてそれがこの世に戻らなければならない理由の一つだということが分かりました。 私が何千、何万もの人々に気付きを与えるように運命づけられていることが、その時の私にはなぜだか分かったのですが、人々に気付きを与えることになっているというだけで、どうやってそれをするのかまでは分からなかったのです。ただ、そのために何かする必要はなく、自分らしく人生を楽しんでいればいいという気はしていました。そして最近になって、このことについて考えていたところです。こうして元気になり、何か意義のあることをしたくなったので、人に気付きを与えるために私がすることになっているは何なのか答えを見つけようとしていました。そして今朝、"あなたの体験は長年にわたって何万人もの人々に読まれ、そして人々に気付きを与えることになると確信しています。"と書かれた先生からのメールを受け取り、なぜ何もしなくてもいいと感じたのか、ようやく理解できたのです!!臨死体験をすることで、私はもうそれをやっていたのです!!!

質問に対する回答ですが、できるだけ明確にしたかったため少し長くなってしまい申し訳ありません。

約3年半前、首の付け根、肩と首の境にあたるところですが、そこのリンパ腺が腫れたので針を用いた生体組織検査をした結果、ホジキンリンパ腫と診断されました。その後のスキャンで、その時点でのがんのステージは1A とされましたが、さらなる検査が必要とのことでした。最初に報告した時は臨死体験とは直接関係ないので必要ないと思っていた詳細を、ここで説明させていただこうと思います: その頃、私の親友が胸部にできた肉腫で亡くなったばかりでした。手術で肉腫を取り除いた後、彼女は化学療法を受けたのですが、化学療法を開始してから彼女の体調はひどく悪化し、そのまま亡くなるまで悪化し続けたのです。彼女の家族は彼女を殺したのはがんではなく化学療法なのではないかと非常に強く感じていました。私は彼女が化学療法に苦しんでいた時も、そして亡くなる時もずっとそばにいたのですが、彼女が経験した化学療法の苦しみは恐ろしいものでした。彼女は小学校からの友人で、一緒に成長してきた仲です。彼女が亡くなった年にがんと診断された時はショックでしたし、私たちの多くの友人たちも同様にショックを受けていました。化学療法は非常に恐ろしいものだと思っていたので治療を拒否し、がん治療専門の自然療法医のところへ行きました。 初めは腫れていたリンパ節が小さくなったので、治療の効果が出ていると感じ、化学療法をする必要がないことをとても喜んだのですが、腫れは小さくなったものの、完全には消えることはありませんでした。その当時の私は、たくさんの恐れ(がんや化学療法への恐れ)の中で生きていました。食生活から悪いものを排除し、腸内洗浄セラピーを行い、自然療法医がくれたすべての錠剤を飲んでいましたが、2年ほど前にリンパ節が再び大きくなりはじめたので先生は私の治療法を変え、さらに先生の指示でハーブの専門家のところにも行くようになりました。再び症状はしばらくの間落ち着いていたのですが、1年ほど前に胸水がたまり始め、左腕も腫れてきたのです。先生が胸水を抜く処置をしたのですが再びたまってしまい、その後も何度か胸水を抜くことになりました。この間、私のリンパ腺はどんどん腫れていき、2006年1月に2、3週間で体調が劇的に悪化するまで腫れ続けました。呼吸がさらに困難になったためいつも息を切らしている状態で、携帯用酸素吸入器が必要になりました。体重は減り、満腹感がいつもあったので食べられず、筋肉が歩けなくなるほど退化したため車いすの生活になり、皮膚の病変からは体液がにじみ出し、そして2月2日には動けなくなったのです。歩くことはもちろん、ベッドから出ることも、目を開けることもできませんでした。私はただ、死ぬ時が来たこと、もう死ぬのだということを受け入れ、すべてを完全に手放しました。痛みも不快さも感じず、その時点では何の薬も飲んでいない、まさに全てから解放された状態でした。

夫が急いで私を病院に運び込むと担当医となったがん専門医は、私を診察するとこう言いました。「手遅れです。私にできることはもう何もありません。」 夫が担当医に懇願すると、彼女は"自分の時間の無駄"だと思い、他の医師を担当につけることを承諾してくれました。もしかしたら患者死亡というのを自分の記録に残したくなかったのかも知れません。彼女は私の自然療法医を非常に不愉快に思っていました。彼には私をもっと早く病院に送り込む責任があったと感じており、そしてはっきりと私が死ぬのは "彼のせい"だとしました。

スキャンの結果、リンパ腫が身体全体に広がっていること、そして臓器が危険な状態にあることが明らかになりました。手足は風船のようにむくみはじめていて、顔もむくんでいました。この時がん専門医が言ったことは、「彼女の臓器はすでに機能を停止しており、多臓器不全で死にかけています。」でした。夫の懇願を受けて別のがん専門医が呼ばれ、その先生は夫にこう伝えました。「何も約束はできませんが、できる限りのことをやってみましょう。ただし、この24時間は予断を許せません。彼女の状態はあまりにも不安定で、どの薬を投与するかを決めるための生検を行うことさえできない状態です。とにかくすべての症状が臓器不全を示唆しているので、ただちに臓器機能の検査を始めます。」この会話は病室の外、12メートルほど離れた場所で交わされたのですが、私はそれを見ることも聞くこともできていたので、その時私が自分の身体を離れていたのは明らかです。それから私は、色んな針が私の身体に突き刺され、化学療法の薬が投与されていることに気付きました。ただ、それがどういった調合の薬だったか正確には分かりません。酸素吸入器や栄養を入れるためのチューブ、心拍や血圧のモニターなども私に取り付けられていました。翌朝(二つの世界を一晩中さまよい、この世に戻ることを決めた後)、医師たちがやって来て私の臓器は正常に機能していることを告げた時に、意識がもっとはっきりし始め、そしてあちらの世界よりもこちらの世界により定着したように感じ始めました。そしてまだ朦朧とした状態でこんなことを言いました。「あれ?そのことはもうみんな知っていると思っていたのに。」兄は夜通し飛行機に乗り、来てくれていました。そしてその夜には完全に意識がはっきりし、いつでも起き上がれそうな感じで、家族全員でお祝いを始めました。私の回復は目覚ましく、それから4日でICUから普通の個室に移されました。その4日間でリンパ節は大幅に小さくなったのです。

危篤状態を脱した私の皮膚病変を治療するために、傷の専門医が呼ばれました。その医師による最初の所見は皮膚が“食いつぶされている”ので手術が必要だが、私の体力の回復を待ちましょうとのことでした。けれども、奇跡的に数週間で傷は治癒したため手術(首と脇の下1カ所ずつ)をする必要はなくなってしまいました。ICUを出てから約1週間後に骨髄の生体組織検査、そしてその約10日後にはリンパ節の生体組織検査をしたのですが、いずれも何も見つかりませんでした。リンパ節の生体組織検査を受けた時、放射線技師はがんを示唆するような大きさのリンパ節を見つけられなかったのですが、医師はとにかくリンパ節の一つに印をつけさせて検査をしました。結果は何も見つかりませんでした。毎回私には検査結果が異常を示すことはないと分かっていました。がん専門医にとっては使用する化学療法の薬を決めるためにこうした検査が必要だったわけですが、何も見つからなかったので現在使用している薬への反応が非常にいいという理由から引き続き同じものが投与されることになりました。私は、がんが消えているならなぜ化学療法を続けなければならないのかと言ったのですが、担当医は私の回復は目覚ましいものだが、私が運び込まれてきた時の状態を考えて少なくとも最低限のサイクルは化学療法を確実に行いたいと譲りませんでした。最初はもっと多くのサイクルが必要だと考えられていましたが、大幅に減らされてその医師が通常行う最低限のサイクルで6サイクルになりました。理由は分かりませんが、化学療法によるひどい副作用に苦しむことはありませんでした。臨死体験によって非常にパワーアップしていましたし、私を弱らせるものは何もないかのようでした。化学療法に対する恐れもその時にはなくなっており、元気、それも素晴らしく元気になることが私には分かっていました。

質問3への回答ですが、リンパ節は化学療法後4日前後で明らかに80%ほど小さくなりました。その約2週間後に生体組織検査が行われたのですが、医師たちはがんの存在を示唆するようなリンパ節すら見つけることができませんでした。それ以前に生体組織検査が行われなかった理由は、私の体力が回復するのを待っていたためです。骨髄の生体組織検査はこれよりも前に行われましたが、何も見つかりませんでした。

質問4: 限られた3次元の言葉で表現するのが難しいものの一つですが、あちら側では時間はまったく異なる意味を持っているようでした。私が感じたのは、すべての可能性が同時に存在していて、ただどれを選ぶかだけ、ということです。たとえば、エレベーターに乗っている時すべての階が存在していますが、自分の降りたい階を選択できるようなものです。あらゆる未来の可能性が選択肢として存在しているなら、当然あらゆる過去のシナリオも存在すると思います。あらゆる未来の可能性の中からどの未来を私が選ぶかによって、どの過去が自動的について来るかが決まるというわけです(生きることを選んだことが、過去に影響を及ぼし、適切な臓器機能検査の結果を選んだ)。意味が通じているといいのですが。私の中では非常に明白なのですが、それを書くのは難しいです。生きるか死ぬかの選択肢を見せられた時、自分の検査結果レポートの映像が実際に見えたのですが、レポートの見出しには「診断:多臓器不全」、本文には「ホジキンリンパ腫による多臓器不全により死亡」と書かれていました。意識が回復してから実際のレポートを見ましたら用紙はほとんど同じで、見出しも「診断:多臓器不全」と一言一句合っていました。ただし本文には、「多臓器不全の証拠は見受けられない」と書かれていました。何がそこに書かれる可能性があったかを知っていたので、そのレポートを見た時には実際鳥肌が立ちました。

質問5: 今の私は、私たちが認識していることや理解できることよりも、もっと多くのことが存在しているのを知っています。臨死体験以来、私の理解は毎日どんどん深まっており、今は“知っている”とか“分かっている”と感じるけれども、以前はそうは感じていなかったことがあるということに気が付いています。私が考え付く一番いい例をあげさせていただきます:とても大きくて暗い倉庫を想像してください。そこにあなたは懐中電灯一つで暮らしています。その小さな懐中電灯の光を通して見えるものが、あなたが倉庫について知っていることの全てです。何かを探している時、あなたはそれを見つけられるかも知れないし見つけられないかも知れません。けれど、それはそこに探しているものがないというわけではなく、そこにはあるのですが、あなたが懐中電灯をその探し物に当てていないというだけです。あなたには光が照らされたものしか見えないのです。そしてある日、誰かが電気のスイッチを入れると、あなたは初めて倉庫全体を見ることになります。その広大さは圧倒的で、端まで見えないほどです。そして、あなたは見えているものよりも多くのものが存在していることを知るのです。すべての棚にたくさんの品物が並んでいるのを見て、あなたはいかに多種多様なものが倉庫にあるか気付くことになります。それまで気付きもしなければ、そこにあることを想像すらしなかったものが、そこにはあります。そこにあることを知っていたもの(懐中電灯が照らしていたもの)と同時に、そこに存在しているのです。たとえ電気が消されたとしても、あなたが経験した理解と鮮明さが消されることはありません。そして、たとえ懐中電灯一つになっても、あなたはもうどうやって探し物をすればいいか知っています。あなたは何が可能か知っているし、何を探せばいいかさえ知っているのです。あなたは物事をこれまでとは違った視点で見始め、そしてこの新しい出発点からあなたの経験が生まれ始めるのです。そういうわけで私は、様々な場面で臨死体験の色々な側面に照らし合わせたり、これまでとは違った物事の解釈をしていたり、今まで自分が知っているとは思わなかったことを知っている自分に気付く日々を送っています。

臨死体験中私はすべての人を“エネルギー”として見ていました。そして私たちのエネルギーレベルがどういう状態にあるかによって、どんな世界を自分のために創り上げるかが決まりました。このことから理解できたことは、もしがんが私たちの“エネルギー”の中になければ、がんが現実の中に現れることはないということです。もし私たちのエネルギーの中に自分自身に満足している気持ちがあれば、現実はポジティブなものとなり、もしがんがエネルギーの中にあれば現代医学でがんを退治したとしても、すぐに再発してしまうでしょう。 けれど、がんをエネルギーから取り除いてしまえば、すぐに肉体はそれに続きます。私たちが思っているほど私たちは“現実のもの”でも物理的なものでもないのです。私が見たことから言えば、私たちはまずエネルギーとして存在し、物理的なものは私たちのエネルギーが表現された結果にすぎません。私たちのエネルギーを変えれば、物理的な現実も変えることができるのです。(何人かの人が“バイブレーション”という用語を使うといいと教えてくれました。)私が個人的に感じたことは、私のエネルギー(バイブレーション)のレベルを高く保つためには、この瞬間を生き、人生の一瞬一瞬を楽しみ、そして次の瞬間を高める(その結果、未来が高まる)ために今の一瞬を使いさえすればいいということでした。未来を変えることができるのは(私の検査結果のように)、まさにエネルギーレベルを高めているその瞬間なのです。非常に単純に聞こえますが、これを経験し理解した時、とても深いことだと感じました。

質問6: 私の医師たちは少し考えが古いように見受けられ、私の臨死体験にどう反応するか分からないので、現時点ではまだ話していませんが、今度話してみようと思います。木曜の朝に検査で彼らに会うことになっているので、その時に話を切り出してみます。前にも話してみようと思ったことはあるのですが、まだ話す時ではないと感じていました。とは言うものの担当医たちは、私が入院している間ずっと、私の回復がどれほど桁外れのものか言ってくれていました。彼らと話してどうなったかはまた追ってお知らせいたします。彼らが同意するのであれば、私としては直接連絡を取っていただいても全く構いません。

先生の質問にお答えできているといいのですが。先生のサイトに私の体験が掲載されたことに大変感激しています。それが特異な体験を集めているページだったのでなおさらです。私の体験があってから兄は臨死体験について読むようになっていたのですが、その兄が10日ほど前に先生のサイトへのリンクを送ってくれ、私はすぐに質問表に記入し始めたというわけです。

[この報告に続いて、アニタのケースに興味を持ったアメリカのがん専門医であるPeter Ko(ピーター・コー)医師が香港へ飛び、本人に会いました。コー医師はアニタの診療記録に書かれたこの件に関わるすべての情報をコピーに取り、綿密に調べた後アニタに言ったことは、「どこからどう見ても、あなたは死んでいるはずですよ!」診療記録の調査後、コー医師は調査結果を世界中のがん研究機関に提出しましたが、回答のあったいずれの機関もこれまでにそのような事実が発生した記録はないと答えています。コー医師はこれまでにアニタと公開フォーラムを開催し、またアニタのケースに関する調査報告についてラジオのインタビューも受けており、このインタビューは当サイトで聴くことができます。]