ベットの臨死体験
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体験の内容:

臨死体験をしたのは1953年のことで、私がまだ20歳の時でした。出産で入院していた病院の分娩台の上で5時間が経過し、私は生死の境を彷徨っていました。多量の出血から輸血が必要となっても、当時住んでいた小さな街には血液のストックはありません。そこで担当医の判断で救急車に乗せられた私は、25マイル離れたナッシュビルの病院へと搬送されることになりました。 それは真夜中近くの出来事で、乗せられた旧型の救急車の造りは霊柩車を思わせるものでした。私に何かあった時に側にいることに耐えられないだろうとの判断から、夫の代わりに義母が救急車に同乗し、私に付き添いました。臨死体験が始まったのは、まさに医師が他の病院への輸送を決めようとしていた矢先で、医師は昏睡状態にある私に意識があるとは思っていなかったはずです。しかし実際、私には会話のすべてが聞こえていました。葬儀会社から派遣された男性スタッフ(は救急車の運転手でもあった)が忙しい現場に駆けつけたとき、私は目を閉じた状態で仰向けに寝かされていたにも関わらず、スタッフが履いた靴の紐が解けていただけでなく、靴下さえも履いていなかったのを目にしました。その光景を見た私は、彼がつまずいて転ぶのではないかとヒヤヒヤしたのを思えています。

ストレッチャーに乗せられて待合室を通り過ぎる間、義母は私に向かって、「嫁は死んでしまったよ。すっかり白目をむいてしまって」と、何度も口にするのが聞こえました。その時の私にはどんな光景も見えず、目の前には暗闇しかありません。ナッシュビルの病院に向かうため救急車に乗せられた際には目が見えており、車体の天井部分と自分の身体の中間あたりをゆらりゆらりと漂っていました。その時の私は痛みを耐えようとするうめき声が自分の口から漏れるのをはっきりと耳にしました。その間中ずっと、「静かにしてくれればいいのに」と、まるでうめき声を出している自分のことをまるで他人事のように感じていました。それから、救急車に乗り寄り添う義母が、「病院はもうすぐよ」と語りかけるのを耳にしました。サイレンを鳴らしっぱなしの救急車は速度を落とすことなく進んでいきました。その時、前方に線路が見え、私は救急車の運転手がスピードを落としてくれればいいなと考えていました。身体に痛みは感じませんでしたが、全身の震えが止まりませんでした。搬送先の病院に着くと、5人のスタッフに出迎えられ、ストレッチャーでエレベーターに乗せられと、分娩室へと移動しました。分娩室に入るやいなや、私の意識は天井部分に移動し、まるでテレビを観るかのようにその場面を上から傍観しました。

この時の私は幸福感に満たされ、(言葉では言い表せませんが)、心の平穏とは、このような感情なのかもしれないと考えていました。そうした状況の中、自分の肉体や生まれようとする我が子にも、まったく関心が沸くことはありませんでした。そればかりか、私を心配して待合室まで来てくれた人誰一人の姿も目に入らなければ、彼らのことを気にもかけることすらしませんでした。分娩室の上方から見下ろしていると突然、後方へ早いスピードで引っ張られていきました。 するといつの間にか今度は、前進していきました。自分ではトンネルとは形容しませんが、何か暗い場所の先にまばゆい光を見ました。私はいてもたってもいられず、そこへ急ぎました。その場所から聞こえてくるのは、何かが回転する時に出すビュンビュンいう音だけでした。翌日ICUで目を覚ますと、医師が私の眠るベッドの端に腰掛けていました。私は興奮気味に、あの素晴らしい出来事を伝えようとすると、医師は優しい面持ちで私の手を軽く握り、赤ん坊のことについて話し出しました。医師によると、赤ん坊との面会時には、心の準備をしておくようにとのことでした。赤ん坊は男の子で、出産時、産道にいる時間が長かったせいで、頭部全体が圧迫されたことで脳に障害が残る可能性があるとのことでした(出産前の一週間から、私は陣痛に苦しんでいました)。しかし実際のところ、息子のIQは160であることが後に判明しました。

息子の誕生日はイースターが終わった最初の日曜日で、ちょうど25年後のイースター終わりの日曜日にアラスカ州の飛行機事故で息子は亡くなりました。息子はそのフライトのブッシュパイロットで、職業柄、息子は生前から幾度も危ない目に遭ってきました。臨死体験による私の死生観の変化についてお話ししましょう。臨死体験をするまで、私は厳格なキリスト教根本主義の教会で日曜学校の教師をしていました。臨死体験後の私は、それまで信じてきたことがまったく違うのに気づきました。 その後の私がスピリチュアルへと傾倒していくのは自然の流れでした。それまでの私は、臨死体験についての見聞はまったく持っていなかったので、この素晴らしい出来事をみんなに知ってもらいたいと思いましたが、頭がおかしいのは息子ではなく、荒唐無稽な話をしている私の方だという噂が広まってからは、みなに臨死体験について知ってもらいたいという気持ちも私の中から消えてしまいました。ムーディ博士が臨死体験の書物を発表するまでの長い間、私はこの体験を口にしないできました。自らの臨死体験により、死というものはなく、ただ他の世界へと旅立つだけだと悟りました。この知識のおかげで、息子の死を乗り越えることができたと思っています。息子の死により私だけでなく、息子を愛するすべての人達が悲しむのを考えると心が痛みますが、息子は苦しみもしなければ、悲しむこともなかったと今なら分かります。息子が亡くなってから二週間後に、彼は娘を授かりました。息子が自分の娘に一目でも会えていたらと願ってから、そうだ息子は確かに愛娘に会えていることを私は思い出したのでした。

概要:

性別: 女性

臨時体験をした日付: 1953年

体験する前または直後に、生死にかかわる出来事がありましたか? 出産